「或る夜に」



その日の仕事が終わった夜、俺とアンドレは久々にパリで飲もう、ということになっていた。
仕事も何とか早めに終えることが出来、上々だった。
「オスカルを屋敷に送り届けてから行くから、先に行って待ってて
くれないか」
奴はそういうと、夕日に髪を輝かせる隊長と共に馬を走らせていった。
何もいちいち送ってやることもないのに。
奴の過保護さに半ばあきれていた。
「まあ、仕方ないさ。それがあいつの仕事なんだから」

俺とアンドレがいつも行く酒場は決まっていた。
他の衛兵隊の仲間と飲む時には、にぎやかで、活気があって、
思い切り騒げる店が定番だが、俺たちの行きつけの店は、見栄えはしないがいつも蝋燭の灯りが
優しく揺れる、懐かしい雰囲気のある店だった。
俺はカウンターで相棒が来るのを待っていた。一杯目のバーボンを飲み干し、二杯目を少し口にした
ときだった。
ギィ、と戸の開く音がする。
「や・・・あ、アラン」
その声に俺ははっとして振り返る。そこにいたのはアンドレじゃなくって・・・・隊長だった。
「た、隊長?!どうしたんですか、こんな所に。アンドレも一緒ですか?」
「うん、実はな。アンドレはここに来る寸前、急に屋敷で用事ができてしまったんだ。しばらく来れそうに
ない様だったんだ。でもそれじゃ、お前の事を待たせることになるだろう?だから彼が来るまで
私がお前と飲もうかな、と思って来てみたんだ」
彼女は微笑んだ。
「迷惑、だったか?」
俺が何も言わなかったんで、少しその微笑を曇らせて訊いてきた。
「迷惑なんて、とんでもないですよ。俺なんかと飲んでくれて、光栄ですよ、隊長」
「おい、それは嫌味か?」
そういって俺の肩を叩きながら、隊長は俺の隣に腰掛けた。
ドキッ、とする。
思いがけない人物の登場に、俺は正直戸惑っていた。彼女は目立たぬようにと、地味な格好をして
いたが、却ってそれが彼女の美しいいでたちを引き立てているようだった。
「ブランデーを」
隊長はそう注文し、それを美味しそうに口にした。
「こんな酒場の酒じゃ、隊長の口には合わないんじゃないかい?」
「そんなことはないぞ。お前やアンドレがいつも飲んでいる酒を、私に飲むなというのか?」
隊長はいたずらっぽく笑った。

「隊の様子はどんな感じだ、アラン?私も可能な限り隊の様子に
目を配っているが、やはり普段の詳しい様子までは把握できないからな」
「まあ、最近は特に乱れたところはないように思いますね。以前よりはまとまりが出てきたし・・・」
「そうか。班長のお前がよくやってくれているからな。以前ミシェルが言ってたぞ、アラン班長は頼りに
なるって。有難う」
隊長に礼を言われ、なおかつ誉められてしまって、俺は何だか変な感じになった。嬉しいような、恥ず
かしいような。それを誤魔化す様に俺はバーボンを飲み干した。
それから俺たちは他愛のない会話を続けた。衛兵隊、隊員のことをはじめとして、パリの噂話、酒のこと
など。安い酒でも俺たちを饒舌にして、とりとめもない会話を続けた。それは本当に楽しい時間だった。
それでも、時々、会話が途切れることがあった。すると隊長は決まってアンドレの話をするのだった。
彼が幼い頃泣いてばかりで、
女みたいだったとか、苦手なものがあって何が食べれなかった、とか、そんな話を楽しそうにするんだ。
奴の話はかなり楽しかったが、隊長がそんな楽しそうな表情をする度、俺の心の中の小さなどこかが
チクリ、と痛んだ。
隊長はいつもの隊長に違いはなかったけど、時折見せる、ふとした表情が俺をドキドキさせた。何て
やわらかい表情をするんだろう。こんな無防備な笑顔を、あいつはもう何年も見守ってきたって訳か。
好きにならない筈が、ない。

できればもう少しだけ、このまま時間を止めて欲しい。
この店の扉に鍵を掛けて、彼女がいっそここから帰れなくなってしまえばいいのに。

刹那的に、俺はそんなことを考えた。なんて感傷的なんだ、俺は?

カツン、と隊長はその指先でグラスをはじいた。
「それにしても、アンドレの奴遅いな」
隊長はつぶやいた。
「まあ、奴も忙しいんでしょうよ。でも俺はそのお陰で隊長とゆっくり飲めて、楽しかったよ」
「私もだ、アラン」
背中の方でギィ、と戸の開く音がして、少し冷たい風が入ってきた。
「アラン・・・遅くなって本当にすまなかった!ごめん」
俺たちは振り返る。アンドレだ。急いできたのか、少し顔を紅潮させていた。
「何だアンドレ、遅いじゃないか。もうアランは待ちくたびれているぞ?」
「ああ・・・思ったより手間取ってね。悪かったな、アラン」
「まあ、お陰で隊長といろんな話できて楽しかったぜ。お前の話とか」
アンドレはギョッとした顔をした。
「俺の?!何?何の話だ?オスカルお前何喋った?!」
「別に。お前の昔の話さ」
「変なこと吹き込んでないだろうな?」
「それは秘密だな」
そんな二人の会話を俺は不思議な気持ちで眺めていた。
微笑ましくて、でも少しだけ寂しかった。
隊長、あいつを待ちくたびれていたのは俺じゃなくって、ほんとは
あんたのほうだろう?
この人は、彼の愛を受け入れたんだろうか?
わからない。でもそうじゃなくても、もう。

俺はグラスに残っていたバーボンをぐっと飲み干した。
「さあて、帰るか」
二人はふと俺を見た。
「遅くなってしまったけど、俺はまだ付き合えるよ?」
アンドレは少し済まなそうに言った。
「いや、何だか酔っ払っちまったみたいだ。今日はお開きにしようぜ、アンドレ。それに外は冷えそう
だから、早めに帰ったほうがいい」
「そうか・・・本当に済まなかった」
済まないことなんてないぜ、アンドレ。俺は本当に楽しかったんだから。
それに。隊長の心を勝ち得ようとしてるお前と、今日は何だかもう飲みたくないさ。
俺は金を払い、外套をまとった。
「じゃあ、お休み!隊長、アンドレ」
「ああ、お休み」
二人を背に、俺は店を後にした。

ふう。なんだかちょっとした非日常だった。さて、明日もまた仕事だ。俺の日常がやって来る。
でも隊長、さっき思ったことは本当なんだ。

鍵を掛けて。時間を止めて。

いつかまた、一緒に飲んでくれるかい?
いつか、また。